父親としての悩みを抱えたら、門井慶喜さんの「銀河鉄道の父」を読むと優しく、そして爽快な気分になれる

今回紹介する本

銀河鉄道の父
門井慶喜

キーセンテンス

われながら愛情をがまんできない。不介入に耐えられない。父親になることがこんなに弱い人間になることとは、若いころには夢にも思わなかった。

父親としての迷いを感じたらこの本を読んで

わたし自身、父親になってから10年が経ちます。
この10年間、「これでいいのか」「これでよかったのか」「もっと厳しくあるべきなのか」と迷うことばかりでした。
父親たるもの、家長として家族の中心で、絶対的な存在でなければならない(気がする)
でも、ついつい子どもを甘やかしてしまう。

それは「自分の快」のためなのか?
それとも「子ども」のためなのか?
子どものため、と言いながら子どもの成長の妨げになっていないか?

子育てとは子どもへの献身のみで成り立っていなくてはダメで、そこに自分の快を求めることは、本当の意味での子育てにはならないのでは。

そんな風な不安、迷いを抱えてきました。
この迷いに襲われるとき、弱い人間であると感じます。

本書には、その迷いを肯定してくれる優しさがあります。

政次郎はここでも父親だった。決断と反省の往復である。

「往復」でいいんだ。
その先に報われる何かがあるから実行する、ではなく、往復を繰り返していくことが父親である。
そこから逃げなければ宮沢親子のように、心の底から繋がる関係を築くことができる。
宮沢親子の交流を疑似体験して、優しい気持ちになれる本です。

父親として共感できる一説が多々ある

本書、銀河鉄道の父の主人公は質屋を経営する宮沢政次郎。
詩人・童話作家である、あの宮沢賢治の父です。
時代は明治時代(1900年前後)。家長たるもの威厳を保ち、笑顔を見せず、嫌われ者を引き受けなければならない。そんな価値観の時代です。

政次郎は父として「厳格であらねば」と「愛情の赴くままに甘やかしたい」の間で揺れ動き、父親としての生きがいや業を学んでいきます。

賢治が小学生になるくらいのとき、赤痢にかかり入院します。
そのとき、周囲の反対を押し切り、入院中の看病に政次郎が買って出ます。
このあたりから政次郎の愛情が爆発。
政次郎の看病が功を奏し、賢治が「楽になった」と話したとき、次の一説。
わたしも父親として身に覚えがありました。

知った刹那、これまで感じたことのない自己肯定感におそわれた。あるいは、これこそが親の幸福の頂点ではないか。男子の本懐ではないか。

次のシーンです。

賢治は小学生のころから石集めが好きでした。集めた石を整理するための高価な標本箱をねだられ、結局は標本箱を買って与えたたときの一説。ここも父親として身に覚えのある一説でした。

賢治の肥やしになる。ほんとうになるか。むしろ賢治を、(だめにするか)答は、わからない。理解ある父親になりたいのか、息子の壁でありたいのか。ただ楽しくはある。窓の外に夜空を見ながら、政次郎は、気づけば鼻歌をうたっていた。

子どもにおねだりをされると、いろいろと自分に言い訳をして、結局は買ってしまうんですよね。
そして、子どもの成長や未来に想いをはせて、鼻歌をうたいたくなるのです。

私自身、実際に鼻歌をうたうことはないけれど、子どもの成長や未来に期待を寄せるときの、あの可能性に陶酔しているときの表現として、とてもしっくりきました。

甘い話ばかりでないところも味わい

もちろん、甘い話ばかりではありません。

賢治は、一人の大人になるまで、つまり経済的・精神的に自立できるまで、一般的なそれより時間がかかりました。
そんな賢治に対し、理解できず、呆れた気持ちを持ちながらも、経済的支援を続ける政次郎でしたが、賢治が成長するにつれ、親子関係の衝突や停滞を描くシーンが増えます。

子どもが小さなころは、親が管理、介入できる範囲内で育ちます。
しかし、成長するにつれ、徐々に親の理解や想像を越えた領域に入っていくものです。
時にその成長は、親からすると不安定であったり、考えが浅かったり、未熟なものに見えます。
でも、それは子どもにとっての成長のステップであり、これが一人の大人になっていく、ということなのです。蝶に例えると、さなぎの時代のようなものかもしれません。
この時期の親は、介入したい気持ち、期待する気持ちとの闘いです。

われながら愛情をがまんできない。不介入に耐えられない。父親になることがこんなに弱い人間になることとは、若いころには夢にも思わなかった。

個人的にはこの一説が一番響きました。
介入したい気持ちを抑えながら、子どもの成長を祈る。これまでの親子関係とは異なるステージに入る、親にとっても試練の時期なのかもしれません。

父親としての爽快さを味わえる

この停滞感からは、賢治が物語を書くことに目覚めるあたりから好転していきます。
好転してからの親子の心の交流、これまでお互いが考えてきたことが触れあう瞬間があったりと、読んでいて爽快でした。

その後結核によって賢治が徐々に死に向かっていく様子や、死後の家族の様子、政次郎の様子が描かれていきますが、それでも、不思議とこの爽快さは失せません。

もちろん賢治の死に対する悲しみの描写はあるものの、読んでいて幸せな気持ちでした。
それは、衝突する時期はありながらも、宮沢親子が心を通わせていたから。その親子関係の実りのようなものを文章全面に感じることができたからです。

父親ってとんでもない仕事かもしれないな、と改めて途方にくれつつも、これから訪れるかもしれない爽快な気持ちに期待をさせてくれる、大切な一冊になりました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました